当協会理事、昭和大学リハビリテーション科の笠井史人教授のインタビュー(2)。(1)はこちら
心臓手術した人は心臓が悪いから、その後は以前のような運動や仕事はできず、人生を楽しめない---そんな考えは古くて間違いです。
例えば、心臓手術後もマラソンを走る人はたくさんいて、特別な人というわけではありません。その他の多くの人が手術後も人生を楽しんでいます。
ただし、その人の状況に合わせた「適切な努力」が大事であるということを教えてくれます。(事務局長 鏡味)
■心臓リハビリテーションの2つのパターン (機能が戻ってくる場合と戻ってこない場合)
――――心臓という臓器にフォーカスしますが、心臓手術をされた方のリハビリには特徴があるのですか?
笠井 心臓リハビリにも2パターンあります。弁膜症の人たちのリハビリパターンと、心筋梗塞をした人のリハビリパターンです。この2つの相違点は、機能が戻ってくる方々の場合と戻ってこない方々の場合の差です。
弁膜症などの心臓手術をした患者さんは、手術を受ける前は制限された心臓機能で生きていたものの、手術によって人工弁に入れ替えたり、修復したりするので、ある意味、健康な人と同じ万全な状況に戻すためのリハビリになります。
一方で心筋梗塞というのは、血液の途絶えによって心臓の筋肉の一部が死んでしまうために、心臓の何十%かが動かなくなってしまった状態のことをいいます。一度患うと心臓の機能がもとの状態に戻って来ないのです。だから、100%に戻っていない状況で運動をするということになります。
心筋梗塞の患者さんのリハビリは、脳卒中で麻痺が残った方のリハビリに近いところがあって、戻ってこない心臓の能力でいかに生きていくか、ということを目標にするリハビリでもあります。
よろしいですか?
心臓手術後のリハビリの2パターン
After Surgery Fun Runで心臓リハビリをしている人が集まってくるとすると、心筋梗塞をした患者さんも、弁膜症の手術をした患者さんも集まってきます。こういう人たちの中には「マラソンは無理」という方もいます。心臓の能力が十分に戻ってきていないのならばこれぐらいまで走りましょうというように、走ることのできる量は人それぞれ違います。
運動負荷試験をする心筋梗塞の患者さんもいます。どういうものかというと、「呼気ガス分析」を通して、運動している人が吐き出す二酸化炭素の量を測るのです。運動をしていると、ある一定の運動量を超えたときに吐き出す二酸化炭素の量が急に増えます。これは嫌気性代謝という現象が起こるからです。有酸素運動から無酸素運動に変わり、いわゆるエアロビクスではなくなってしまうのです。
有酸素運動をしている人も、自分の能力を超えると途端に無酸素運動に変わってしまいます。だから運動をするうえでは、できるだけ運動強度を高くすることが重要ではあるものの、有酸素運動の状態をキープしながら運動することが大事なのです。
呼気ガス分析をして、無酸素運動に切り替わる自分の心臓の脈拍が110だと分かると、自分で脈拍をとって、この運動強度だと105だから有酸素運動の範囲で大丈夫だ、今120になったから休まなきゃ、といった判断ができるようになります。これがいわゆる「運動処方」です。心臓リハビリの中心的なものになります。
――――とても科学的ですが、日常的に数値をとるのは難しそうだと感じました。
笠井 いつでも呼気ガス分析できれば良いですが、それはできません。ですから最も簡単な方法は「ちょっとだけきついぐらいの運動をする」ことです。平気すぎるのもダメですし、うんと苦しいのもダメです。きつすぎる運動量は不整脈が出てきてしまうのでむしろ危険です。なので、ちょっときついと感じるぐらいの運動をキープするのが一番良いのです。
呼気ガス分析は数値で測っていますので正確と言えます。しかし、運動目標心拍数が110だったとしても、その人の目標数値が一生110であることということはありません。運動を習慣づけると110から120になったりします。その時点のその人の数値なので、簡単に一定数値だけで指導はできません。
いろいろ言いましたけれども、リハビリとして運動をするうえでは、ちょっと負担がかかるぐらいで、いつまでもできてしまう運動強度が安全で効果的だと思います。その程度が自分でなんとなく分かるのであれば、その運動を続けてみてください。
■「フレイル」との向き合い方 ---トレーニングの三原則を参考に
――――最近は「健康寿命」や「フレイル」という言葉を聞くことが多くなりました。特にコロナ禍で、「フレイル」の方が増えているとのことですね。
笠井 「フレイル」という言葉は実は造語なので、直訳できません。英単語ではフレイルティー(frailty)と言います。フレイルティーは”弱い”という意味を持っていますが、弱い、に加えて”可逆的”というニュアンスも包含しています。
日本人は英語があまり得意ではないので、frailtyこのニュアンスが伝えづらく、weak(弱い)とどう違うのかという話になったので、この言葉を日本に輸入するときに、老年医学会がフレイルという造語を作ったのです。
フレイルの意味合いは、”可逆的な虚弱”になります。だから今、高齢者にフレイルと言っているのは、「あなたはもう老人だからあきらめなさい」という宣告ではなく、「あなたはまだフレイルだから元に戻ることもできるんだよ」ということだと思ってください。
コロナ禍でフレイルが増えているのは本当です。コロナで外に出てはいけない、運動してはいけない、だからフレイルになりますよ、と言っているのです。しかし、フレイルだから“戻ることができるんですよ”という意味合いももっているのだと考えていただければ、自分が何をすればいいかというのが見えてきます。
――――身体が元に戻れるように、どのようなことに気をつければ良いのでしょうか?
笠井 フレイルは可逆性という点に意味があるので、トレーニングの三原則との親和性が強いです。その三つは、「可逆性の原則」「特異性の原則」「過負荷の原則」です。これはとても重要で、私も普段からリハビリをやるときに、この三原則を思い浮かべています。
「可逆性の原則」とは、元に戻れる、または元に戻ってしまうという意味です。
例えば、100メートルを15秒で走れる人がいたとして、トレーニングをした結果、100メートルを14秒で走れるようになった人がいました。しかし、そこで安心して練習を止めてしまうと、また15秒に戻ってしまう。これが可逆性の原則です。
可逆性の原則は加齢にも当てはめられます。今まで15秒で走れていた人も年齢を重ねると、16秒、17秒になってきます。そして20秒ぐらいになってしまうと、また15秒まで戻ろうと思った時にはもう遅いのです。これは不可逆になってしまった状態です。
重要なのは、100メートルを15秒で走れるひとなら、加齢で16秒台に落ちたのところで気づきましょう、早く気付けばまた15秒を目指してトレーニングをすれば間に合いますよということです。可逆性であるうちに自分で判断することが大事です。無茶はダメだけど、自分が戻れる範囲に戻る努力をすれば確実に戻れるという意味合い、そして継続していくことが重要です。
よろしいですか?
2つ目が「特異性の原則」です。例えば、野球が上手になりたかったら野球の練習をしないといけないのは当たり前です。しかし、野球が上手くなるために相撲の練習をいくらしても、野球は上手くなりません。だからトレーニングをする際には、自分が思い描いた目標をしっかり持って、衰えた機能に特化した練習をするという点をブレないようにしましょう。
3つ目が「過負荷の原則」です。能力を伸ばしたいときは、自分ができる範囲を超過して負荷をかけなさいという意味ですが、超過といってもほんのちょっとだけ超える量にするということです。例えば、5キロのダンベルを10回持ち上げる運動ができる人は、もっと力をつけたいと思うのなら、11回、12回とやろうとしないと今以上に力がつかないのです。今以上に力をつけたければ、自分のマックスを若干超えるチャレンジが必要です。しかし強すぎる超過、過剰な負荷はやりすぎになってしまう。自分のマックスを超えないといけないですが、ほんのちょっと、というのが大事です。これをいきなり1.5倍とか2倍とかに上げてしてしまうとダメなのです。
――――トレーニングの三原則を頭において運動をしていけるといいですね。
笠井 運動習慣が無くて体力が落ちてしまったと思う人がいれば、まず自分がやりたい運動を明確にし、今の体力よりもちょっと負荷のかかる運動をする。そして継続していくこと、そのために今の自分を常に評価することが大事です。