2022年5月の大会に初めて参加された高橋美奈子さんは、その年の1月に僧帽弁閉鎖不全症の心臓手術をされました。心臓手術をした身体ではもう二度とマラソンなど走れないかと思っていたそうですが、大会に参加して「心臓手術後にフルマラソンを完走した人は手を挙げてください」との呼びかけに、4名が手を挙げたのを見て、「走ってもいいんだ」と感じたそうです。そして、その年の12月にはフルマラソンを完走されました。
それを知った事務局が、ぜひ詳しく話を聞かせていただきたい、とお願いして実現しました。
高橋美奈子さん
■ベスト3時間7分の本格的なマラソンランナー
――――高橋さんは心臓手術をされる前からジョギングやマラソンを楽しまれていたとのことです。どれくらい楽しまれていたのでしょうか。
高橋 私は30歳からマラソンを走り始めました。最初はおじいちゃんおばあちゃんがいるジョギングクラブに参加して、楽しく走っていました。40手前で千葉の成田に引っ越して、それを機に成田の走友会に入りました。
走友会で揉まれているうちに、マラソンは努力すればタイムが良くなるし、男の人とも競えるんだと面白くなってきました。
ホノルルマラソンや東京国際女子マラソンなど、資格を取って参加していました。
公認の大会でフルマラソンだと3時間15分、ハーフで1時間半のタイムを取ると、国際大会に出られる資格が得られたんです。でもなかなかタイムまで足りなくて、40手前という壁もあって、ダメかな…と思った矢先に力を抜いてみたらハーフで資格を取れました。だけど厳しかったですよ。走っているときにいつ「ビリだから収容バス乗りなさい」と言われるかと思うと怖かったです。
東京国際女子マラソンは40の頃から10年間参加できました。
それが終わったら東京マラソンが始まりましたよね。あの時は陸連登録だと入りやすいということで、5回ぐらい走らせてもらいました。それが今は倍率が十何倍とかになってしまって、もう参加できなくなってしまいましたけど。
――――いわゆるエリート市民ランナーじゃないですか。
高橋 ベストタイムはフルマラソンで3時間7分でした。
新潟や福島で行われたジャーニーランに参加したりもしました。一度、206kmほどの佐渡ヶ島を一周するというランがあって、挑戦してみようかなと思って、160 km 走ってリタイアしました。
2022年の大会で皆と元気に走っている高橋さん
■走れなくなったのは病気のため
――――2022年のはじめに心臓手術を受けたとのことですが、いつ頃から体調がおかしいと感じるようになったのでしょうか?
高橋 10年くらい前から、健康診断で心雑音の指摘はされていました。その時はしょぼんとしたんですけど、かかりつけの先生には普通の生活でいいですよ、無理しないでねと言われて、飲み薬もありませんでした。その先生はスポーツマンっぽかったので、先生の言うことを信じればいいと思いました。
2020年には水戸黄門マラソンを申し込んでいたのですが、コロナ禍もあり中止という連絡を受けました。それである意味助かったかもしれませんね。その前の練習からしんどかったんです。ランニングマシンで10 km 走れなくなりました。
その時は歳のせいかなと。10 km が本当にフルマラソンを走っているくらいきつくて、坂道でも肩で息をするようになっちゃって、これは尋常じゃないなと。肺がんの父も肩で息をする感じだったから。私はタバコは吸いませんから肺がんじゃないとは思いましたが、でもこれは病的なものだと思って、思わずかかりつけの病院に行きました。
――――病院に行った際、かかりつけ医には何と診断されたのですか?
高橋 私は心臓病特有のむくみがなくて、かかりつけ医の先生におかしいんですって言っても、最初は「心電図に異常ないし、血圧も異常ないし、むくみもないし気のせいじゃない?」と言われました。でも最後に聴診器を当てた時に、「いつもより音が大きいかな、予約待ちだけど超音波入れてみる?」と言われました。不安だったので受けることにしました。
3週間後、超音波検査をしてみたら、「これはもう手術だね」と。僕にはできないから、紹介状書くから大きな病院に行って診てもらってと言われました。
マラソンを通して忍耐力がつきすぎてここまで来ちゃったのかな、心臓の代わりに肺が一生懸命働いてくれたんだよ、とか先生にいろいろ言われました。
かかりつけ医から紹介された比較的近くの病院で手術することを決めました。
――――心臓手術することになった時、どのようなことを考えましたか。
高橋 最初は、もうこんな歳だし、転移もするものじゃないし、軽く思っていました。自分の息子でさえ心臓手術が必要なことを伝えても「お母さん、最近まで走っていただろ」という感じでした。
ですが、先生の話を聞いていくうちに、だんだん重病なのかなと思えてきました。 11月に行って、12月頃に手術と言われましたが、「家族と一緒にクリスマスとか正月を過ごしたいんですけど待ってもらえますか?」と言ったら、それならということで1月の中旬に手術することに決めました。
決めたら決めたでドキドキしてきて、もうちょっと早くした方がよかったのかな、今すごく苦しいんだけど救急車呼ぼうかな…とか思いました。検査入院の時のカテーテル検査で重症ですね、と言われました。その時はもう深呼吸ができませんでした。
――――大変でしたね。
高橋 あと、心臓病になったのがマラソンのせいにされるのがすごく嫌だったんです。周りのランナーの人も、「美奈子さんは走っていたからなのかな?」とか言われたりしましたけど、そうしたら周りの方も弁膜症になっちゃうじゃないですか。そういう言い方はあんまり好きじゃなかったんです。だから先生や技師の人に「走っていたせいでこんな身体になったのでしょうか?」と聞いてみたら、「そんなこと言ったらランナーさんはみんな弁膜症になっちゃうでしょ。運命としか言いようがないんじゃない?」と言ってもらってちょっとほっとしました。
2022年の大会でゴールする高橋さん
■コロナ禍の入院だったが、順調に快復
――――コロナ禍での入院生活だったと思いますが、どのように過ごされましたか?
高橋 コロナ禍の入院は、面会は家族2名までに制限されていましたが、2022年の正月はコロナが1番ひどくなっていた頃で、面会もダメになってしまいました。必要な荷物は主人がナースステーションに届けて、私がそれをもらう形でした。2週間ですから我慢しましたが、家族に会えない寂しさはありました。
でも大部屋の方はいい人ばっかりで仲がよかったんです。一人、また一人と退院されて寂しくなったんですけど、新しい方も入ってきて、人生経験豊かな方とも色々とおしゃべりして、ここの部屋は賑やかだな〜と先生に言われたりしました。看護師さんはコロナ禍であるぶん忙しかったと思います。仲介役のような形で仕事も増えるし、看護師助手の人も忙しくてイライラするのが伝わってきました。
――――手術を受けたときの状況について教えてください。
高橋 手術は人工心肺装置で普通だったら3時間。生体弁を入れる予備の時間もふくめて長くて6時間と言われていて、結局6時間かかりました。
私がすごく良かったのが、麻酔をかけられて寝る寸前に、松竹映画じゃないですけど富士山がバーンと頭に浮かんできたんですよ。鳩がパタパタと飛んでいたりして、すごく縁起が良いな、手術成功だな…と思いながら寝ました。
自分でもびっくりして、手術室の天井に富士山の絵が飾られていたのかな〜と思ったぐらいでした。
手術後、麻酔がまだ効いている状態で起こされたのですが、まぶたが重くて起きられなかったんですよ。たぶんシーツを取り替えたかったらしく、「高橋さん腰あげられます?」って看護師さんに言われたので、腰を浮かせたら周りのみんながワーッと言って。この人すごい体力あるね、きっと退院も早いよ、と言うのが聞こえたのを覚えています。
手術後は麻酔の影響もあって暴れるような人もいるために、手足を縛ったりすることの合意書を書かせられたりすることもあるようです。でも私はまぶたが重くて、ぐーぐー寝ていました。先生は「女の人のほうが度胸があるんですよ、痛みには強いんです。男はダメなんです」と言っていました。
――――入院生活はどうでした?
高橋 ICUにいる時は熱中症で死ぬかと思いました。喉が渇いて渇いて。管で繋がれているので安心されているようで近くに人がいなかったんです。だから足音が聞こえたら「喉乾いてるんですけど」って訴えたりしていました。
それから、やっぱり自分で寝返りが打てないし、起き上がれないし。そしたら四日目には看護師さんに「リハビリしましょうね」と言われて、「起き上がれないのにどうやってリハビリするんですか?」「じゃあ歩きましょう」「歩くと倒れますよ」「じゃあその場で足踏みしましょう」と。
その場で足踏みしても倒れますよと言うと、支えますからまあやってみましょうと言われてやったりしました。あとはナースステーションまでを歩行器みたいなもので行ったり来たりして、おばあちゃんになったようでした。そこから走れるまで快復するとは夢のようです。
それから大部屋に移りました。まだこんなに管が繋がれているのに大丈夫かしらと思っていたのですが、入ってみたら気持ちがシャンとして、しっかりしなきゃいけないと思いました。精神的にしっかりしました。薬の管理も自分でして、食事も自分でとりました。トイレの時に車椅子に乗るのもリハビリになってきて、最後の一週間は「コーヒー飲みたいんですけどコンビニまで買いに行っていいですか」と先生に聞いて、高橋さんの場合は快復が早いからいいかと許してもらって、リハビリがてらコーヒーを買いに行ったりしました。
それから障害者の手続きや、年金の手続きをしました。
仕事ってなると無理をしてしまうことが怖くて、ちょっとのんびり生活をしてもいいかなと思いました 。
■After Surgery Fun Run大会への参加
――――退院後の生活はどうでしたか?
高橋 初めて外に出る日は怖かったです。だから手術後、仕事をされている人はすごいなと思いました。外の空気が当たっただけでふらっとしそうで、600m 先のコンビニに行くまでも、大丈夫かな?生きて帰れるかな?とそういう不安はありました。
退院したら人のためになることをやりたいなと思っていた矢先に、目の不自由な方が白杖で歩いてるのを見かけたんです。
私は目の不自由な方のマラソンの伴走したこともあったので、それを思い出して、「駅まで行くなら一緒に行きましょう」と声をかけました。最初は嫌がられたんですけど、それからずっと彼のことが気になって。
その時はウォーキングしかできなかったので、待ち合わせみたいな場所で、「ここであなたに会ったらこれから月曜日から金曜日まで一緒に付き添っていいですか?」と言いました。最初は遠慮されたのですが、今は彼が月一で眼科に行くときの付き添いをしたりもしています。仕事もしてないからそれぐらいは世間の手伝いをできないかな、と。
――――手術前に楽しまれていたマラソンについてはどう考えていましたか?
高橋 これからどうしようかなと思っていたときに、鏡味さんの体験記を読んで走れるんだ、と思いました。
インターネットで検索してもあんまり情報がないし、いいことが書いていないんです。楽しんで練習程度ならいいけれど、大会だと別です、リスクが伴いますとか書いてある記事もありました。
そんなときに検索で、鏡味さんの体験記を発見しました。鏡味さんみたいに「できました!フルマラソン走りました!」と書いている人ってあんまりいなかったから、走ってもいいんだと思って、本当に目からウロコだったんです。
大丈夫じゃん、そんな怖くなることじゃないって思って。
それから「心臓手術をした人も一緒に ジョギング&ウォーキング大会」に参加しました。四、五人の男性ランナーさんがいらっしゃって、海沿いを走ったときはやっぱりテンションが上がってしまいました。
そのときに、「走れるんだ」と思いました。ここで倒れたってすぐ隣に病院があるし、助けてもらえるしいいわってそう思いました。安心して、あのときはハイテンションで走っちゃったんです。
それから、ランナーの方とも喋りました。ある男性ランナーの方に聞いても、心臓の手術した箇所は違っていて、心臓手術と言っても色んな所があるんだと思いました。そうしたら鏡味さんが僧帽弁の閉鎖不全症と言われていたので、私と一緒の病気だとびっくりしました。そういう交流の場がないと知ることができない情報だったので、参加してよかったです。
山口先生とか鏡味さんの周りには人だかりがいっぱいで、とても話ができないなーと思っていました。みんなも話を聞きたくてしょうがないんだろうなと思ってました。
大会へ参加された時にメッセージをいただいておりました
■計画通りに手術後11ヶ月でのフルマラソン完走
――――心臓手術後にフルマラソンに参加されたとのことですが、参加される経緯を教えてください。
高橋 自分がフルマラソンを走ることはもうないと思っていましたが、ASFRの大会に参加し、そこで心臓手術後にフルマラソンを走った方が4名もいたと知り、自分も挑戦しようと思いました。
1月に手術後の1年健診が予定されていて、これからフルマラソンを走るんですと言うと先生になにか言われたら嫌だなと思ったので、1年検診の前に走って「走っちゃいましたよ」で済ませちゃおうと思いました。
フルマラソンの大会を検索してみたら、みえ松阪マラソンが12月にあったので、それに参加することを決めました。
そこに合わせて計算して、まずは5月に10kmを走って、その後に千葉アクアラインマラソンでハーフを走ろうとか、段階的に走る距離を長くしようと考えました。
千葉アクアラインマラソンはハーフの参加倍率が高いんですよ。でも、私は障害者枠で参加することができました。障害者になったら障害者になったで、転んでもただで起きない、私のためにあるんだわと思って参加しました。アクアラインは本当に海の上を走っているようなハーフマラソンで良かったです。
そこでは声掛けをしてくれるランニングドクターさんがいたので、声かけちゃってもいいかなと思って、「私は心臓手術をしたんですけど、なにかアドバイスください」と言ったら、私のフォームをしばらく見られて、「いいペースで走っているからいいんじゃないですか」と。「僕、専門外だからそんなに生意気なことは言わないけど、力まずに楽に、そのままのペースでゆったり走られたらいいんじゃないかなー」という感じで言われました。
「じゃあ頑張ってね、あ、頑張ってはいけないんだよね。じゃあ楽しんで」と言われたのが印象に残っています。素敵な先生だなと思いました。
ハーフは2時間半で走れたので、あと20 km 歩いても6時間半くらいかなと思って、あとは気負わずにという感じでフルマラソンに参加しました。
手術してから11ヶ月後のフルマラソン完走でした。周りのみんなもやっぱり、「美奈子さん手術したんだよね、それで走っちゃったの?すごいことしたね」と言われました。
10kmレース参加時の高橋さん
――――また佐渡ヶ島を走りますか?
高橋 フルマラソンの大会に出たと言うと、今度はどこ走るの?って言われたりするのですが、そんなに何回も走れません。私だって命がけで走ったんですから。
快復が早いとは自分でも思いますけど、やっぱりペースをあげようとすると、(ウルトラマンの)カラータイマーが鳴ってる感じがして、これ以上あげないほうがいいなとスピードを出せないことがあります。
それでも月一回、10 km 程度のものに申し込んで走っています。ゆくゆくは東京マラソンでフルマラソンを走りたいと思います。